それは突然やってきた

10月初旬、机に座ってパソコンをさわっている時のことだった。急に何故かテールスーブと牛タンと麦飯が食べたくなった。そうだ仙台へ行こう。 昔の仲間のNさんの大腸癌手術の病気見舞に、このHPで世話になっているMさんにも会って旧交をあたためなきゃ・・松島にいるSさんの脳梗塞の 容態も気になっていたし・・それに久しぶりに山全体が燃えるように赤く染まる 東北の紅葉も見てみたい・・。

仙台はかって16年前まで15年間暮らした街、2000人の従業員を擁した会社のトップにまで登ぼりつめた街、不運にも志半ばで辞任を余儀なくされ、天を仰ぎ 断腸の思いで決断をした街でもありました。16年の歳月はそれらをすべて忘却の彼方に追いやり、牛タンについてくるテールスープの香とともに思い起させたのは 不思議なことでした。


政宗のDNAを受け継ぐ仙台

16年ぶりの仙台はこの街が日本でも有数の美しく整然とした都市であることを再認識させてくれました。杜の都、仙台と言われるだけあって青葉通り、定禅寺通り に代表されるように広い道路には街路樹が生い茂り、東西、南北に地下鉄が整備され、交通の便も飛躍的によくなってきている。郊外の住宅地も ごちゃごちゃしていない、。 整然として美しい。これはどこからくるのか?伊達者と言われる伊達政宗以来のDNAが脈々と受け継けつがれているとしか思われない。関西人から見ると明らかに DNAが違う。そういえば、昔の仕事仲間達も打ち出しがとても華麗であったことを思いだしました。

仙台城址から市内を眺めると、一段と高層ビルが立ち並びダイナミックな都市の景観を映し出す。仙台空港へのアクセス線(鉄道)は16年前にはなかったが、 新設された各駅前には高層のマンションが立ち並んでいました。ますます資本の集積が進んでいることがみてとれます。

仙台駅から広瀬通駅の近くのホテルまで歩いてみた。駅前の青葉通りに面した老舗の百貨店が店を閉めていました。クリスロードの商店街も昔と変わらぬ活気 を呈していましたが、昔からある地元の商店は少なく全国チェーンの店が多くなっており、物販からサービス、飲食店への比重が増しているように思えました。やはり 時代の流れでしょうか。


仙台城址にて

城正門 政宗像

仙台城址から市内を望む

市内展望 駅方面

仙台城址

仙台城址のある山


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広瀬川

広瀬川から市内を望む



広瀬川

暮れゆく広瀬川


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大崎八幡宮

大崎八幡宮



松島で道に迷う

松島 松島 松島

塩竈でSさんを、見舞ったあと、松島海岸駅の裏手にある西行戻しの松公園に行き、松島湾の写真を撮影しました。ここに到着したのは午後3時頃だったのですが、 暮れゆく松島の風景を写真に収めるため、時間を忘れ留まっていました。段々薄暗くなってきたので時計を見ると午後4時すぎていました。そろそろ帰ろうと思って携帯でタクシー 会社に電話を入れようと入力したら間違ったので、再度入力しようとしたら、登録場面が出て、うまくいきません。面倒なので、歩くことにしました。ここに来る時のタクシーの 運転手さんに、15分程度で松島海岸駅まで帰れるということは確認していました。丁度その時1台の車が公園を出て行きましたので、何気なくその後に着いて行き ました。ところが15分歩いても2車線の道路には出ましたが、まだ海は見えません、道を間違ったとその時気が付ました。しかし、しっかりした、2車線の道路の歩道を歩いているし、車の 通行量の多いい道なので、下っていけば、やがて駅にたどり着くとだろうとたかをくくっていました。ところが、確かに道は下っているのですが、あたりには民家もなく、山の中の道はまっすぐ に伸びていて、歩けども歩けども民家はありません。真っ暗な闇の中を時折通り過ぎて行く車のライトを頼りに、とぼとぼと何かものにつかれたように歩いていました。1時間くらい歩いても状況はかわりません。 自分がどの方向に歩いているのかさえもわかりません。車の進行方向の左側を歩き車を止めて聞いてみようとおもいました。手を挙げても車は非情にも止まってはくれません。 そうこうする内に赤々とした光が見えてきました。お店かなと思いました。ところが近づいてみるとちょっとした広場に4台の自動販売機があるだけです。がっかりしました。まもなくして交差点に突き当たりました。今まで歩いて来た道が登りに向いており、右折の方向が下っているのでその方向に曲がりましたが、もう足はふらふらで体力は限界にきていました。車が 止まれるような場所を選んで手を挙げて車を止めようとしましたが、交差点を曲がってきた車はスピードを上げて走り去って行きます。20分前後そうしていたでしょうか、 でも1台の車も止まってくれません。おもてなしの国、日本は非情だなぁとおもいました。段々あせってきて絶望しかかってきた丁度その時、先ほど通り過ぎた自動販売機のところに1台の 小型トラックが止まってい.ることに気づきました。うれしさのあまり、急いで駆け寄りました。車には70歳前後のお爺さんが乗っておられました。私の話を聞いて快く乗せていただきました。地獄に仏とはこのことです。 その佐藤さんという方は松島の病院に娘さんを見舞って下馬まで帰る途中だったそうで、 娘さんのことや、お仕事のこと、友達のこと、震災のことなど道すがら話してくださいました。下馬の駅で 心ばかりのお礼をしてお別れしましたが、駅のホームで時間を確かめると午後7時でした。約3時間ばかりさまよったことになります。 朝から13キロも歩いていて、くたくた、旅行は体力がいるとつくづく思いました。


作並温泉に行く

東北の山全体が赤々と燃える紅葉と温泉を求めて作並温泉に行ってきました。最初は電車で山寺まで行き、引き返し温泉にいくことを計画していましたが、作並駅から温泉までの アクセスがないのと時間の制約で、結局バスで往復することにしました。仙台駅から70分程度の旅です。作並温泉は山の中にあるのですが、紅葉は期待したほどではありませんでした。 やはり山寺まで行くべきであったのか。昔関西から東北に転勤した最初のころ、新幹線で盛岡へ行く途中、山が燃えているのではないかと思うほどの景色をながめ感動したことがありましたが、 そんな風景は残念ながら見られませんでした。温泉は昔2度ばかり泊まったことがある寛政8年創業の岩松旅館に入りまのした。シーズンオフなのか 不二の湯という大浴場には私ひとりの貸し切り状態。湯舟につかりながら昨日の松島のことを思いだしていました。携帯の電源を落とし再起動させれば確実にタクシーを呼べたのに、 公園を出る時まだ人が何人かおられたのに、道を確認することもしなかった。関西と時差が30分ていどあり、日没が早いことも経験的にわかっていました。最初の右折の道を右に行っておれば 松島海岸に出れたのに・・・。どこかが狂っていました。冷静な判断を失っていました。よく山で遭難するニュースをききますが、こんな些細な判断ミスから発生することがよく 理解できました。温まったので、谷底にあるもう一つの温泉に入りました。そこはエレベーターで地下2階まで降り、さらに階段を85段降りた、切り立った谷底に流れる小川の 傍にあにある天然岩風呂です。源泉の温度が違う河原の湯,滝の湯,鷹の湯、新湯の4つがあり、谷底から見上げる紅葉がとても美しい。後で分かったのですが、この湯はいづれも混浴でありました。幸い4、5人の男性客はおられましたが、ご婦人はおられませんでした。ゆっくり温泉に浸かっていると、昨日の疲れもすっかりとれたように感じました。

作並にて

紅葉の林 紅葉の山 岩松旅館

岩松旅館


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牛タンのこと

仙台に着いた夜遅く早速牛タンを食べに国分町の裏道にある老舗の牛タン屋さんへ行きました。この店は30年前の昔からある店で、仙台では当時すでに有名店でありました。昔、小上がりで 牛タンが出てくるのを待っている時、週刊誌を読んでいたら「本を読むなら出て行ってくれ」と怒鳴られたこともありました。キンカ頭の兄弟と一目でわかる老人2人と若い男の子と女の子がやっ ていました。夜の9時過ぎていましたが、客はほぼ満席状態、繁盛店であることがみてとれます。1.5人前の定食を頼んだりですが、大きい牛タンが4切れで出きました。 肉が厚いので私の歯ではなかなか噛みきれません。やっとの思いで完食したせいか、あまり感動はしませんでした。これがあの牛タンなのか・・。

大阪に帰る日午後4時過ぎ、昼食と夕食を兼ねて仙台駅の牛タンの店が並んでいる通りで、牛タンを食べました。偶然でしたが、その店は以前何度も行ったことのあるお店でした。今度は1人前の 定食を注文したのですが、やや薄く小ぶりの肉が6切れついてきました。私にはこちらの方が食べやすく感じました。必ずも老舗のお店が良いとは言えないとつくづく思いました。


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